3-BC「対話する」

La Fontaine du dialogue(Busato
2015.10.20 @Angers


第3回ベルクソン・カフェのご案内

ポスター
  
  <2回シリーズ>

① 2018年6月9日(土) 16:00~19:00 
② 2018年6月16日(土) 16:00~19:00 

1回だけの参加でも問題ありません 
 
会 場

恵比寿カルフールB会議室
東京都渋谷区恵比寿4-6-1 恵比寿MFビルB1

テクスト
 
Pierre Hadot
« Apprendre à dialoguer »
「対話することを学ぶ」 

Exercices spirituels et philosophie antique, pp. 38-47
(Albin Michel, 2002)

このテクストを読みながら、広く対話することについて考えます
参加者にはテクストを予めお送りいたします

日本語で議論しますので、フランス語の知識は必須ではありません

このテーマに興味をお持ちの方の参加をお待ちしております
ご理解、ご協力の程、よろしくお願いいたします

(2018年2月21日)

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会のまとめ



 今回は、対話するということについてアドーさんとともに考えた。魂の鍛錬は太古の昔から行われているが、ここでは西欧の道徳的意識を目覚めさせたソクラテスを中心にこの問題を論じている。
 ソクラテス的対話で重要になるのは、話されることではなく、誰が話すかであるという。話題とされるテーマやそれを扱う技術ではなく、それを語る人間が問題なのだと言っている。ソクラテスとの会話に入ると、関係のない話で始めたとしても最終的には、現在の生き方と同様に過去にどのように生きたのかに関して自分自身を理解せざるを得なくなる。そこに至れば、ソクラテスはそのすべてを自分自身が徹底的に、しかも上手にコントロールするようになるまでその場を離れさせないだろう。自分が善くない行動をしてきたり、していることを思い出せたとしても何の問題も感じない。この点から逃げない者は、必然的に残りの人生をより謙虚に過ごすことになるからである。ソクラテス的対話においては、対話者は何も教わらず、ソクラテスも何かを教えるという振りをしない。なぜなら、彼は何も知らず、彼が知っているのは何も知らないということだからである。
 しかし、ソクラテスは五月蠅いアブのように、対話者に問題を投げかけ、彼ら自身に注意を向けさせ、自分自身の面倒を見るように仕向ける質問を浴びせかける。自分の財産をできる限り増やそうとしたり、評判や名誉に注意を向けて恥ずかしくないのかと迫り、あなたの思考(フロネーシス)や真理(アレテイア)や魂(プシケ)を向上させることには注意を払わないのかと言って迫るのである。ソクラテスの使命は、同時代人を良心の検討と内的進歩に気を配るように誘うことである。彼は言う。「わたしは大部分の人が気に掛けていること、例えば、金のこと、財産の管理、将軍職、弁論術の成功、司法職、政治的・軍事的連合、政治派閥などは全く気に掛けていない。しかし、あなたたちの一人ひとりに自分が持っているものよりも、あなたが在るところのものをできるだけ優れた、適切なものにするように努めるよう説得して最大の善を行いたい」と。
 ということで、ソクラテス的対話とは良心の検討と自己への集中という内なる魂の鍛錬のように見える。煎じ詰めれば、有名な「汝自身を知れ」というところに行き着く。このフォルミュールの原意を汲み取ることは難しいが、それでもこの言葉はすべての魂の鍛錬の基礎となる自己と自己との関係へと誘う。自分自身を知るということは、非賢者として(つまり、sophos知者としてではなく、philo-sophos智に向かう過程にある者として)知ること、あるいは本質的な存在において自己を知ること(つまり、自分自身であるものとそうではないものを識別すること)、あるいは真の道徳的状態において自分を知ること(自身の良心を検討すること)である。
 プラトンやアリストパネスが描く他者との対話の達人であるソクラテスは、自己との対話の達人、すなわち魂の鍛錬の実践の達人でもあった。自己との対話の実践は瞑想だが、ソクラテスの弟子の間では高く評価されていたようだ。哲学からどのような利点を見出したのかを問われた犬儒派の祖アンティステネス(第1回PAWLで取り上げたディオゲネスの師)は、自分自身と対話することができるようになることと答えたという。自己との対話と他者との対話の間にある緊密な関係には深い意味がある。他者との真の出会いができる者だけが自己との真の出会いができ、その逆も真である。対話は他者と自己の前に身を置いた時にだけ真の対話となる。つまり、自己と他者の前に真に存在する鍛錬であるという意味で、すべての魂の鍛錬は対話的なのである。
 論争術とは異なり、以下の点をプラトンは強調する。二人の友人がお喋りしたい気分の時、より穏やかで弁証法的でなければならない。弁証法的という意味は、真実を語るだけではなく、対話者が自己を知ると認めることだけに基づいていることである。したがって、対話者の大きさが決定的になる。それが対話を理論的でドグマティックになるのを妨げ、具体的で実践的であるように強いるのである。それがすべての魂の鍛錬で起こることである。見方、態度、信念を自ら変えなければならない。つまり、自分自身と対話し、自分自身と闘わなければならないのである。この闘いを制するためには、真理を語るだけでは不十分で、それを証明するだけでも十分ではなく、説得しなければならない。そのためには魂を惹き付ける術(psychagogie)を用いなければならないのである。議論の範囲は、良識ある人間にとっては人生全体である。重要なことは、特定の問題の解決ではなく、そこに至る道行きで、そこでは対話者、弟子、読者が彼らの思考を形成し、思考を真理を発見するのにより適したものにすることである。対話は知識を与えるというより、人間を鍛えるためのものである。したがって、対話のテーマはそこで応用される方法よりも重要ではなく、問題の解決はそのために共に歩んだ道行きよりも価値は低いのである。
 弁証法的鍛錬であるプラトン的対話は、二つの理由から魂の鍛錬と完全に対応している。一つは、それが対話者(と読者)を回心に導くことである。対話は、対話者が真に対話することを望むときだけ可能である。すなわち、真理を真に求め、魂の底から望み、ロゴスの理性的要求に従うことを受け入れることである。弁証法的努力は、ともに真理とすべての魂が望む善に向けて上昇することである。第二に、プラトンの目から見れば、すべての弁証法的鍛錬はロゴスの要求に従うもので、純粋な思考の鍛錬であるため、感受される世界から魂を逸らし、善に向けて回心することを可能にするのである。そして、それは神的なものに向けての精神の道行きなのであるという言葉で終わっている。
 この結語は、日常にも溢れているはずの対話に新しい光を当て、改めて考えるべき視点を我々に提供しているように見える。丁度、雑誌「医学のあゆみ」のエッセイで、ドイツの哲学者でプラトンを研究したハンス・ゲオルク・ガダマー(1900-2002)の対話に関する考えを取り上げたところであった(2018年6月9日号)。こちらも参照していただけると、対話という行為に潜む問題点をより立体的に捉えることができるだろう。今回もお忙しい中参加していただいた皆様に感謝いたします。

参加者からのコメント

● 科学・哲学といった専門をまったくもたないものが、生きるということを通じて感じ、考えてきたことだけをたよりに参加できるところだと、いつも感謝しています。ありがとうございました。
● 先日は有意義な時間をありがとうございました。今週末も参加を検討していましたが、急用ができ参加できなくなりました。残念ですが、またの機会に勉強させていただきたく思います。
● 今日はありがとうございました。また、お写真までお送りいただき、重ねてお礼申し上げます。テキストなど不備にもかかわらず、温かいご配慮、感謝いたしております。皆様ともお話させていただきとてもうれしく思いました。今後ともご指導のほどよろしくお願い申し上げます。
● この度も、ベルクソン・カフェを開催してくださってありがとうございました。いつかテキストを読む貢献をしたいものですが、まだまだ道は遠いですね、、。毎回、誰か読んでみませんか?と先生が声をかけてくださるのに、不出来な生徒ですみません!今回のテーマ「自己との対話、他者との対話」は、自分自身に一番欠けているように私は感じました。ある日ベランダでぼんやりとしてみたのに、何も想念らしきものが浮かばなくて焦りを感じたのですが、今回の先生のお話の中で示された「self1」と「self2」の隙間空間が、私にはほとんど無くて、思考らしきものが働かないことを実感してしまいました。次回、また楽しみにしております。
● 先日のベルクソン・カフェではお世話になりました。Pierre Hadotのテキストは頗る難解な代物ですが、不思議に奇を衒った感じがなく、素直に入っていけるものでした。彼の真意のひとつに、近代以降の哲学(者)にまとわりつく迷妄を払拭することがあるのでは、と推察します。浅学の身を鼓舞させるこのカフェの大いなる歩みに共感しています。


フォトギャラリー

<初日>



 <二日目>





(2018年6月26日)






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